『TOHOシネマズ立川立飛』は、コロナ禍のさなかの2020年9月にオープンした劇場。開業準備がこれから本格化しようという時期に緊急事態宣言が発出され、会社としても大きな影響を受ける中、現場の社員たちはどのように動いたのか?予定通りの開業にこぎつけるまでに起こった数々の困難と、それを乗り越えるための一人ひとりの思いを、開業に関わった社員の言葉でたどってみた。
PROJECT MEMBER
TOHOシネマズ立川立飛 支配人
【当プロジェクトにおける役割】
劇場の責任者/副支配人との連携/外部との連携
TOHOシネマズ立川立飛 副支配人
【当プロジェクトにおける役割】
劇場の体制づくり/支配人の補佐/マネージャーの教育/アルバイトスタッフの面接
劇場運営部 新店・共同経営館担当
スーパーバイザー
【当プロジェクトにおける役割】
全体の運営管理/支配人のサポート/本部との連携
TOHOシネマズ立川立飛 マネージャー
【当プロジェクトにおける役割】
アルバイトスタッフの面接・教育
TOHOシネマズ立川立飛のオープンに向け、立ち上げ担当スーパーバイザー(以下SV)の岡部が着任したのは2019年10月のことだった。立川は交通の便もよく、人口も増加傾向にある人気の街。新劇場は、強力なライバル劇場の存在も見据え、アーティスト監修による特別な音響を備えた「プレミアムシアター」や、TOHOシネマズ初導入のドリンクバーなど、多くの魅力的な設備を備える予定で、岡部も大きなやりがいを感じて臨んでいた。
春に予定されていた支配人、副支配人の着任までに、開業に向けた大まかなロードマップ作成を着々と進める岡部。ところが、せっかく作り上げた計画が、新型コロナウイルス流行による緊急事態宣言でいきなり崩れてしまう。最初のアクシデントは、支配人大石の着任が大幅に遅れてしまったことだ。
「4月に東京に移る予定が、緊急事態宣言で不動産会社が休業、転居できなくなってしまったんです。結局新たに住まいを探し直し、下見もせずに大急ぎで契約、引っ越しをしましたが、着任は半月ほど遅れてしまいました」(大石)
とはいえ大石を待っている時間もない。通常はSV、支配人、副支配人の三者の初顔合わせとなる「キックオフ会」も慣れないオンライン会議で開催し、何とかプロジェクトは動き出した。
大石が合流しても、物事は予定通りには進まない。緊急事態宣言下の5月は劇場も営業を自粛中。本来ならマネージャーも着任し、スタッフ(アルバイト)の募集と採用に入る時期だが、そうした活動ができない状態が続いた。
そんな時間を有効活用し、大石と副支配人の川﨑がとことん話し合ったのが、新劇場のコンセプトを表す標語だ。立川はどういう街で、どんなお客様が来てくれるのか?さまざまな情報をもとに目指す劇場の姿を考えるのは大石の役割。川﨑は、大石が「作りたい劇場を気持ちよく作れること」を第一に考えていた。
「新店開業は、副支配人が自分の色を出す場じゃありません。大切なのは支配人のサポート。ただ、支配人の熱い思いは標語の長さに表れがちで、『それだけはやめてください!』と抑えに回るのは私の大事な役割でした(笑)」
何度も話し合いを繰り返し、最終的に決まったのは『また、来たくなる映画館』というごくシンプルな表現。「結果的に、皆が理解しやすいいい表現になったと思います。今も、マネージャーがスタッフの研修時に、このコンセプトをしっかり伝えながら進めてくれていますが、その様子を見ると『この表現にしてよかった』と思いますね」(大石)
こうして支配人と副支配人が動いている間、自宅待機中のマネージャー5人も、自分なりの準備を進めていた。
その1人である松本は、誰に指示されるでもなく「着任までに全セクション分のマニュアルを読み込む」ことを自らに課していた。「現場では飲食、物販など何らかのセクションを担当してスタッフを教育することになります。当時はまだ担当部門が分からなかったのですが、何を担当しても活躍できるように準備しておこうと思いました。スケジュールの遅れで研修時間も短くなりそうな中、自分が間違えて無駄な時間を過ごしてしまうことがないようにしたかったんです」
松本のマネージャーとしての原点は、入社後初めて働いた劇場で支配人に言われた言葉だ。「当時の自分は、アルバイト経験も豊富で、『自分は仕事がデキる』と思っていたんです。そんな自分が言われたのが『決まった仕事をやるだけならマネージャーの意味がないよ』というひと言。デキるつもりで実は全く人のためになっていなかったと目が覚めました」(松本)
「できる仕事を自ら探してこそのマネージャー」。その時身にしみた思いが、自宅待機中の松本の原動力となったのだ。
6月に入りようやくスタッフの採用活動がスタート。コロナ禍中にも関わらず多くの応募があり、劇場のオープンに対する期待の大きさが感じられたものの、とにかく時間がない。「採用スタートからオープンまで3カ月。本当に間に合うんだろうか?という気持ちは正直ありました」と松本は振り返る。
時間が刻々と過ぎていく中で、大石も焦りを感じていた。初めて経験する開業支配人の重責に、コロナ禍という前例のない事態が重なり、さらには初導入のドリンクバーをどうするか、プレミアムシアターやIMAXの魅力をどう伝えていくのかと課題は山積み。そんな大石を救ったのは、「何ごとも楽しんで取り組もう」という岡部の言葉だった。
「『楽しんで取り組む(Having Fun)』は当社の経営理念の一つ。このひと言で緊張が解けると同時に、改めて理念の大切さを感じました。そして私自身が理念に立ち返ることで、マネージャーたちにも『楽しんで取り組もう』と伝えられるようになったのです」(大石)
厳しい状況下でも楽しく取り組むため、大石は「マネージャーがやりたい方法を重視する」と決める。それをアシストしたのが、新店立ち上げ経験を持つ川﨑だ。
「新店立ち上げは、決まりを守りながらも新しいことをやっていく場であり、勢いも大切なんですよね。自分に求められているのはその『勢い』と明るさだと考え、常にそのことを意識して行動していました」(川﨑)
支配人との人間関係をしっかり築き、全員が揃う場で敢えて気楽に支配人に意見する川﨑の姿は、自然とチーム全体を明るい雰囲気に変え、結果として大石の期待通り、マネージャーからも「こう進めたい」という主体的な意見が次々と出てくるようになった。
「『こう進めたい』という気持ちはとても大切ですが、そういうときは必ず、『マニュアルってどうなっていますか?』と問いかけるようにしていました。するとそのうち『マニュアルはこうなっているんですけど、理念を考えたらこうしたほうがいいと思うんです』という意見が出てくるようになったんです。マネージャーにも理念の大切さが伝わっていることが分かった瞬間でした。そういう言葉がマネージャー自身から出てくるようになったことは、とてもうれしかったです」(川﨑)
松本が常に意識していたのは、「最終目的は新劇場のオープンである」ということだ。「当たり前のことなんですけど、最終目的がオープンだと思えば、自分だけでは手が回らないときに他のマネージャーにお願いもできるし、他の人が大変そうなら自分から声をかけて手伝ったりもできます。最優先すべきは『自分でやりきる』ことじゃないんですよね」(松本)
5人のマネージャーの中でも最年少の松本だが、積極的に声をかけると先輩マネージャーも親身に応えてくれた。得意の雑談力が作った話しやすい雰囲気は、常に5人で情報共有し、「今日は誰が何をやる」と全員が把握している状態も生んだ。多忙な中で本社からの急な要望があっても、「これは自分がやります」と積極的に申し出る空気も生まれていた。こうした雰囲気が、スケジュールに余裕がない中、マネージャー5人で65人ものスタッフを教育することを可能にしたといえるだろう。
さまざまな新しい試みの中で、運営面の一大課題となったのが日本初の大型機械を導入したドリンクバー。TOHOシネマズにとってはドリンクバーを導入すること自体が初めての試みで、実際にテスト運用してみて分かる課題が多くあった。
「什器やその基本的な配置などは本社で決まるのですが、たとえばフタやストローの置き場所一つで使いやすさが変わってきてしまうこともありました」と振り返るのは、飲食担当としてドリンクバーの運用オペレーション構築に携わった松本。本社とのつなぎ役である岡部の力を借りながら試行錯誤を繰り返し、使いやすく、メンテナンスしやすい形を探った。コロナ禍中でも利用する人に安心してもらうため、人が滞留しないことや清潔感にも通常以上に気を配った。
現場の工夫で生まれたルールもある。ドリンクバーを購入したお客様にカップを手渡す際に「1日お楽しみください」というひと声をかけることだ。「映画館では珍しいドリンクバーを、立川立飛ならではのサービスにするために何ができるだろう?と考えたとき、会社の理念である『GOOD MEMORIES』に少しでも近づけるため、このひと声をかけるアイデアが浮かんだんです。僕と、飲食担当のもう1人で意見が一致して、本社にOKをもらい、今もこのひと言を添えてドリンクバーを提供しています」(松本)
コロナ禍のもとでは、当たり前の接客サービスにも特別な注意が必要だ。たとえば、マスクを着けたままでもお客様によい印象を与えられるのか?ただでさえ接客慣れしていない新人スタッフにとってはかなりの難題だ。
そんな接客についてどう教えるかを考えたのもまたマネージャー。松本たちは社員同士で話し合い、マニュアル通りの笑顔に加えて「マスクをしていても笑顔とわかること」を目標に定める。新人スタッフに手鏡を持たせて笑顔の練習を繰り返し、できていることは褒め、できていないことにはできるだけ具体的にアドバイスした。
「個人的には、休憩時間にスタッフにも話しかけて親しくなり、できない悩みを話してもらえる関係づくりを意識しました。また、どんな教え方が効果的だったか、やり方をマネージャー同士で共有していたことも、短期間で効果的に教えることにつながったと思います」(松本)
コロナ対応で慌ただしい中、岡部もフォローに奔走する。たとえば、2カ月前に開業した池袋の劇場でマネージャーに教育現場を見学させることにより習熟を早めるアイデアは、双方を担当していた岡部が考えたもの。通常にはない臨機応変な対応で教育効果を上げ、研修のスピードアップを実現した。
肉体的、精神的にプレッシャーがかかりがちな社員に対して、できるだけストレスなく働けるように心を配ったのも岡部だ。そのために、多忙な中でもきちんと休息を取りながら進められるよう、有給休暇を取得しやすい環境も整えた。
「『時間ができたら休もう』という考えではいつまでも休暇は取れません。適切な休暇を取るには計画がすべて。業務がいつどこでどうなるかを予め考えておくことが重要です。そういうことが一番よくわかるのは、立ち上げの流れをよく知っている自分。とくに本社にとって必要なタイミングと劇場のタイミングの調整役として、コロナ禍で一度崩れた計画をきちんと立て直すことには最も気を遣いました」(岡部)
予定通り迎えた9月10日の開業日、オープンを待つ人たちの前で自動ドアを手で開けたのは岡部だった。
「なんとなくこれを自分がやるのが恒例になっているんです。支配人以下、劇場メンバーには、正面でお客様をお出迎えするという大切な役割がありますからね」
コロナ禍中での開業に「並んでくれる人などいないのではないか」とも思ったが、現実には多くの人がオープンを待って列を作った。
「観たい作品が上映されていて、安心して鑑賞できる環境があればお客様は来てくださるのだと実感できました。同時に、最高の上映環境について前評判を作っていくことの大切さも感じています。その点では、本社の番組編成やマーケティング、隣接店舗である『ららぽーと』の協力にも助けられました」(岡部)
厳しいスケジュールの中でプロジェクトを進めてきた半年間を、副支配人の川﨑はこんなふうに振り返る。
「マネージャーにはもっと何かしてあげられたと思うのに、時間がなくてできなかったのは心残りです。効率アップのため、各自で資料を読んでもらい、疑問があれば答えるという形で進めてきましたが、本当はせっかく立ち上げ経験がある自分がもっと手取り足取り指導してあげたかったとも思うのです」(川﨑)
しかし、マネージャーはすでにしっかり前を向いている。「コロナ禍で配信作品も注目されていますが、映画館でしかできない経験は必ずある。その魅力をしっかり伝えていくのが僕たちの役目」と松本は次なる目標を語る。
充実した設備を持つ立川立飛はまさに、「映画館の魅力を伝える」のにふさわしい劇場だ。「劇場の強みであるIMAX、轟音シアター、プレミアムシアターなど上映環境の素晴らしさ、体で感じる楽しみについてしっかり伝えていきたい」というのは、支配人としての大石の意志でもある。
「たくさんの仲間と一緒に協力して、お客様によい映画を提供し、喜んで帰っていただく活動はシンプルにとても楽しい。中でも、自分たちが思うことを一から反映させて実現できる新店立ち上げにはとてもやりがいがある」と岡部は言う。「だから、『新店立ち上げをやってみたい』という人がもっと増えてほしい。そのためにも、労働環境を整え、立ち上げを心身ともに健やかに取り組める仕事にしていきたいと考えています」(岡部)
副支配人の川﨑も、新店立ち上げマネージャーには「やってよかった」と思ってほしいと思っている。「『自分はこれをやりとげた』という経験は素晴らしい。そのためにも、変えたいと思うことは積極的に口に出し、実行してみてほしいです」(川﨑)
川﨑が思い出すのは、自らのスタッフ時代のこと。アルバイトリーダーだった自分の休日に大きな地震があり、皆が困っているのではと心配したが、翌日出勤すると何の問題もなく業務が進んでいた。「結局1人の力ってその程度。大切なのは仕組みや環境なんですよね。そして、仕組みは自分の力で変えていくことができる。それができるのがこの会社だと思うのです」(川﨑)